転勤・引越し・新生活について
当ブログには、私の唯一の扶養家族である、愛する妻のことをたくさん書くことになる。
だが、本人の許可はとっていない。
怒られたりするのであろうか?
いやいや、嫌嫌、厭厭、これを機にその時々で私がどんな気持ちでいたのかを思い知っていただき、ギャフンと言ってもらおう。
一発お見舞いされた結果、実際に「ギャフン」と口にする人は未だ見たことはないけれど、我が妻は大袈裟が衣をまとい歩いているような人物なので、本当にギャフンと言うのかもしれない。これは楽しみである。
さて、生まれ育った兵庫県に別れを告げ、私が愛知県民に生まれ変わったことについて書く。
2016年10月。所属する事業所の所長から中部地方へ転勤できないか打診があった。
中部地方は人手不足が深刻化しており、特に愛知県は、トヨタ自動車が絶好調なので、人員がそちらへ流れがちらしい。
住み慣れた土地に未練はあまりなく、私としては挑戦したいところではあったが、当時妻とは付き合い始めたばかりであった。
そんな中、愛知県までついてきてくれた妻には本当に感謝しなければならない。そのような感じのことを今度適当に言ってやろうと思う。
それまで私が1人で住んでいたお家は種々雑多に物が溢れており、発生したゴミは2トントラック3台分にものぼった。
必要な物と捨てるものを選定する際、何度も何度も妻に怒鳴られた。
そう、我が細君はとても短気なのである。
沸点が驚く程低い。
5555℃まで沸騰しないタングステンを見習って欲しいものだ。
しかしながら、その選別を経てスッキリとした新居で生活ができているわけなので感謝しなければならない。今度二日連続で抱いてやろうと思う。
半年間は狭いレオパレスの一室で同棲していた。
あの半年間のことは一生忘れないと決めている。何号室やったかなぁ。ちょっと忘れたわ。
新しい環境になり、兵庫県のお友達とあまり会えないのはとても辛いけれど、久しぶりに会っても変わらず仲良くしてくれる人達がいるので有難い。私は幸せです。